罪悪感を手放すとは?

光を当てる

私はTSさんから「奇跡講座」を教えて頂き、TSさん・Tさんと様々なお話をさせて頂いています。

最近の話題としてはほとんど出てこなくなりましたが、一時期「罪悪感」の話で話題沸騰でした(笑)。

その時の主なやりとりとして、「罪悪感はある」というお話に対して、私は「なんで罪悪感を大事にするの?」と毎回並行線(笑)

私は奇跡講座はすごい!って思っているのですが、どう読んでも「罪悪感を大事にする理由」が見つからなかったんです。

といっても、私の奇跡講座の理解は「奇跡の原理」だけなんですけど・・・(にわかで済みません)。

これ以来、私は「罪悪感」という言葉を使う人に出会ったら、「コースやってんのかな?」ってちょっと思ったりしています。

それは良いとして、私の中に「罪悪感」が出てきたことはあるかな・・・ないかな・・・。

そもそも「罪悪感」の感覚がイマイチよく分からない素人です。

ただし、「罪悪感」を持ってしまった人に対して掛ける言葉はあります。

「罪悪感は気のせいですよ?」と。

罪悪感は現実ではなく、自分で生み出しているもののはずです。(コースをやっている人は特にそういうと思います)

現実で無いモノを自分で生み出していることに「気がつくだけで良い」というのが本質です。

気がつけば、罪悪感は無くなります。

なぜ無くなるか?

「罪」とは罪となる原因が存在して初めて成立します。

罪悪感は「自分で生み出しているもの」ですから、罪となる原因がないのです。

強いていえば原因=自分になりますが、それでは「自分は罪である」と言っているようなモノです。

「そう私は自分が罪なの」っていう人もいるかもしれませんが、それは「自分を罪だと思い込もうとしているだけ」です。

言い切れるのにも理由があります。

全ての存在は「安らぎ」が本質としての存在です。(人間の生きる目的と言っても良いですし、これは私の占いの中でも常に出てきている答えです)

安らぎを幸せと言っても良いでしょうし、楽しさと言っても良いでしょう。

コース的に「愛」「光」と言っても良いですが、言ってることは同じです。

罪を意識することは緊張を生み出します。

緊張を生み出すということは、その意識の持ちようは間違っていると世界が教えてくれているということです。

常に答えは既にあり、目の前にあり、手にしているというのはこういう事です。

自分を罪と理解しているとしたら、その理解の仕方は間違っていると教えてくれています。

正しい理解とは「なぜ自分を罪だと思おうとしているのか」に想いを馳せることです。

そうすると「あ・・・思い込むことで分かった気になろうとしていた」と気がつくと思います。

ここまで来ちゃうと「全ては思い込みか・・・」って気がついちゃうんですよね。

気がついちゃうと「罪」と思っている事そのものが自分の創作だということにも気がついてしまいます。

結果的に罪悪感を抱き続けることは不可能なんです。

罪悪感を手放すなんて考えなくても、自分が作っちゃってたって気がつけば、勝手に消えるんです。

罪悪感を抱いていると苦しいですよね?

苦しいってことは、その感覚を抱く事自体が間違っているって教えてくれているということです。

どうしても罪悪感が消えてくれない・・・手放せない・・・なんて悩む事自体がおかしい状態であり、悩む必要はどこにもないのです。

「なぜ自分は罪悪感にこだわっているのか?」と掘り下げてみてください。

こだわることでどこかに到達しようとしているのかもしれませんが、間違ったこだわりだから苦しいんです。

ここに気がついてください。

罪悪感は無いのが当たり前なんです。

自分で生み出している間違った感覚だからです。

どうせ自分で生み出すなら正しい感覚にしてください。

やり方が分かりませんか?

「自分に優しくなれる感覚」なら正しいです。

きれいなものを見る

おいしいものを食べる

温泉でくつろぐ

優しい言葉を自分に掛ける

自分を優しさで包みながら「どうして罪悪感にこだわるのかな・・・」と掘り下げて行けば、あなたに必要な答えが見えてきます。

答えが見えてきたら、もう大丈夫。

どれだけ罪悪感が沸いてきても長続きせず、消えちゃいますので。

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